沿革(活動の経緯)

199412 学校事故・事件等で子どもを亡くした兵庫県内の4家族が集まり「兵庫学校事故・事件遺族の会」を結成。その後、遺族・被害者、支援者が加わり、互いに支え合う活動を続けた。その活動は徐々に県外にも広がる。

2003
5月 「兵庫学校事故・事件遺族の会」が中心となり、「学校事故事件を語る連絡会」を結成。全国から被害者、学者・弁護士等が参加し、神戸で第1回(大)集会を行う。集会後、全国の被害者・遺族から多くの相談が寄せられる。その後、神戸を中心に集会を重ねる。

2004年8月 神戸で第5回(大)集会を行う。集会で事実究明に関する要望書を文科省に提出することが決定。名称を「学校事故・事件を語る連絡会」から「全国学校事故・事件を語る会」に変更。

2004年11月 文科省を訪問し、事実究明にむけた第三者機関の設置に関する要望書を提出。

20056月 神戸で第9回(大)集会を行う。「子どもを亡くした親の回復」について、シンポジウムを行う。

2005年7月 淡路島で起きた熱中症死亡事故について、兵庫県教委、神戸市教委に緊急アピールを提出し、面談を行う。

200510月 子どもの自殺防止に向けての緊急アピール」を発表。

2006年4月 「全国学校事故・事件を語る会、長崎集会」を行う。「風の子事件を考える姫路市民の会」より会計残金のすべて\1,258,890を「語る会」運営基金として移譲。

2006年6月 神戸で第15回(大)集会を行う。「子どもの自死」についてシンポジウムを行う。わが子を自死で亡くした親から子どもたちに向けたアピール「生きてほしいから」を発表する。

2006年11月 神戸で行われた「第32回子どもの人権研究会」で、分科会「学校事故・事件と子どもの人権」を持つ。

2006年12月 文科省に、事件の事実関係を客観的な観点から明らかにすることを保障する制度の構築を求める請願書を提出する。

2007年6月 神戸で第21回(大)集会を行う。「事実解明と当事者あるべき調査機関像」についてシンポジウムを行う

2007年8月 06年12月に提出した請願の回答を求め文科省と面談。 「全国学校事故・事件を語る会、東京集会」を行う。

2007年12月 超党派の国会議員の集まり「チャイルドライン支援議員団」の学習会に参加し,学校事故・事件被害者・遺族の「知る権利」の法制化を要望する。

2008年6月 神戸で第27回(大)集会を行う。「学校事故・事件の知る権利の実現に向けて」について,国会議員,弁護士を迎えシンポジウムをおこなう。